こんにちは。「旅の、がっこう」の犬ポンです。
2026年6月12日~21日で、ハンガリーの首都ブダペストとスロバキアの首都ブラチスラバを旅してきました。
今回の旅行記は、小説風(題名「雲海プロヂュース」)に進めていきたいと思います。ブラチスラバ編、スタートです。

「雲海プロヂュース」
あらすじ
私、信秀真(のぶひで・しん)は、突然会社を辞め、消息を絶った大学時代の友人、織田秀長を捜す旅に出た。
プロローグ
十一月下旬のある日。
昨晩まで降り続いていた雨がようやく上がり、早朝七時の山あいの空気は、一気に冬の冷たさをまとっていた。
目の前には、言葉を失うほどの雲海が広がっている。
ここは奈良県野迫川村、立里荒神社。山の稜線からゆっくりと朝日が昇り、白い海のような雲を、少しずつ金色に染めていく。
腕時計を見ると、まだ七時を少し回ったところだ。約束の九時までは、たっぷり時間がある。
私は息を吐き、冷たい白い煙が空に溶けていくのを眺めながら、今日ここに来るまでのことを思い返していた。

引用https://ryotawada.com/nara-nosegawa-unkai/
野迫川村HPhttps://www.vill.nosegawa.nara.jp/tourist_guide/
出会い
地方の高校から東京の大学に進学した私は、右も左もわからないまま、最初のオリエンテーションの教室に座っていた。
そのとき隣の席に腰を下ろしたのが、秀長――織田秀長との最初の出会いだった。
「織田秀長。よろしく」
そう名乗った彼の顔を見て、私は思わず笑ってしまった。
「信秀真。苗字は信秀。名前じゃないけど、なんか“秀”つながりだな」
たわいないきっかけだったが、話してみると不思議なくらい気が合った。
私が野球部、秀長がラグビー部。どちらも体育会系で、体育局に属していること。ふたりとも一般入試で門を叩き、地方から出てきたばかりであること。
似たような境遇がいくつも重なり、気づけば、部活帰りに学食で汗を拭きながら、くだらない話や将来の夢を語り合う仲になっていた。
そうして大学を卒業したあとも、私たちの付き合いは、細く長く続いていくはずだった。
音信なし
卒業後、私は地元に戻って公務員になり、秀長は東京の大手総合商社に就職した。
若いころは、年に数回はどちらかが移動して飲みに行った。だが仕事が忙しくなるにつれ、会う機会は減り、この十年ほどは年賀状と、ときどきのメールが、唯一のつながりになっていた。
そんな折、久しぶりに東京出張の予定が入った。
せっかくだから、何も告げずに会社を訪ねて驚かせてやろう。そう考えた私は、仕事を終えた足で、秀長の勤め先のビルへ向かった。
受付で名乗り、面会をお願いすると、受付嬢は一瞬、端末の画面を見つめ、それから申し訳なさそうに顔を上げた。
「織田は、三月いっぱいで退社いたしました」
耳を疑った。
すぐに携帯電話にかけてみたが、冷たい機械の声が返ってくるだけだった。
「現在この電話は使われておりません」
フロアに響く雑踏の中で、私だけが、取り残されたような気持ちになった。
宛てのない旅
秀長は、よく冗談めかして「俺は織田信長の末裔なんだ」と言っていた。
だが彼の出身は岡山県総社市で、父親はメーカー勤務の転勤族。長く社宅を転々としていたと聞いていた。十年ほど前に両親を相次いで亡くし、一人っ子の彼は「天涯孤独になった」と、笑うでもなくつぶやいたことがある。
――秀長は、どこに行ってしまったのだろう。
手がかりになるものは、彼との会話の断片しかない。私は、過去のやり取りを一つ一つ、心の中でなぞってみた。
三月の東京出張のあと、私の生活は慌ただしさを増していた。
町おこしの企画、定住者向けのサポート業務、コンビニの裏手から顔を出す富士山をバックに写真を撮りに来るインバウンド客への対応。四月、五月と、ほとんど休みらしい休みも取れないまま過ぎていき、秀長を捜す余裕など、どこにもなかった。
そんな彼のことを思い出させたのは、ふとした拍子に脳裏をよぎった、ビールの話だった。
秀長は、東欧のビールが好きだった。
かつて二年間ほど、スロバキアにある日本の自動車メーカーに出向していたことがあり、そのときに出会ったズラティー・ハジャント社のダークラガー――黒ビールがすっかり気に入ってしまったという。日本に帰国してからも、わざわざ海外から取り寄せていると自慢げに語っていた。
もしかしたら、スロバキアに行けば、何かが見つかるかもしれない。
その思いつきは、あまりにも頼りない。
それでも、何もしないよりはましだと、自分に言い聞かせた。仕事もようやく一段落したタイミングだったので、六月に十日間の休暇願を上司に出した。
「働き方改革だ。いいよ。ついでに帰ってこなくてもいいぞ」
冗談なのか本気なのか、判然としない許可をもらい、私は宛てのない旅に出ることを決めた。
東欧への旅の始まり
日本からスロバキアへの直行便はない。
今回は中国南方航空を利用し、中国・広州を経由してハンガリーのブダペストへ飛ぶ。そこから国鉄に乗り、スロバキアの首都ブラチスラバへ向かうことにした。
ブダペスト・リスト・フィレンツ国際空港から西駅へ
ブダペストの空港に到着したのは、早朝五時三十分だった。
空港から市内中心部へ出るには、タクシー、空港バス(100E)、市バス(200E)と地下鉄三号線を乗り継ぐ方法がある。
予約していた国鉄の列車は、十一時過ぎの便だ。時間には余裕がある。
せっかくなら、秀長も肌で感じていたであろう「旧社会主義国」の空気に触れてみたい。そう考えた私は、一番安い市バスと地下鉄を乗り継いで、ブダペスト西駅へ向かうことにした。
空港のチケット売り場

空港を出て左に行くとチケット販売機があります。現金、クレジットカード(差し込み式、タッチ式両方可)で購入できます。
→(緑)がシングルチケット(90分間有効)で、私はこれを購入しました(500フォリント)。黄色枠が空港バス(100E)チケットで、赤枠が24時間券、72時間券です。
乗り場

100Eバスの隣が200Eバス乗り場です。
地下鉄乗り場

200Eバスの終点が地下鉄3号線のNyugati palyauudvar駅(始発)です。
ブラチスラバへ
十一時三十分。ブダペスト西駅を発車した列車は、ゆっくりと郊外へと走り出した。
車窓に広がる景色は、北海道によく似ている。
大学時代、野球部とラグビー部は同じ北海道で夏合宿をしていた。休みの日には、私と秀長はジンギスカンをつつきながら、缶ビールを片手に、将来の話をよくしたものだ。
あのとき思い描いていた未来と、今の自分たちは、どれほど違ってしまったのだろう。
そんなことを考えているうちに、二時間半の乗車時間はあっという間に過ぎ、列車はブラチスラバ本駅に滑り込んだ。
スロバキアの人口は約五百四十五万人。その首都ブラチスラバの人口は二十九万人ほどで、日本でいえば地方都市のような、こぢんまりとした街だ。
中心部の旧市街には高層ビルはなく、中世の面影を残した街並みが、旅人の心を静かに落ち着かせてくれる。
――秀長が暮らしていた街に、ついにやって来た。
彼は、この風景をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。

ブダペスト西駅
西駅情報
ブダペストから国外へは、東駅、西駅、南駅の3駅を利用することになります。西駅は、ドイツ、ポーランド、チェコ、スロバキア方面の始発駅です。設計は、エッフェル社。駅の隣には、世界で一番美しいと言われているマックがあります。
駅にはトイレはありません。マックやスタバなどに入り(注文しないとだめ)そこを利用するか、駅の地下に有料トイレ(350フォリント きれいでした)を使うしかありません。そう考えると、日本の駅でトイレに困ることはないということは、素晴らしいことです。
チケット購入方法
駅の窓口でも購入できますが、売り切れが心配でしたのでハンガリー国鉄HPからネット購入しました。
ハンガリー国鉄HPhttps://www.mavcsoport.hu/en
秀長の痕跡を探して
旧市街の観光地は、歩いて回れる範囲に収まっている。
六月の平均気温は二十二、三度と過ごしやすいが、日差しの強い昼間は、さすがに汗ばむ。
私はまず、石畳の通り沿いに並ぶ店のテラス席に腰を下ろし、秀長が好きだったダークラガーを注文した。
一口含むと、確かなコクが舌の上に広がり、喉をすべり落ちていく。
普段は黒ビールをあまり飲まない私でも、するりと飲み進められる味だった。
グラスを見つめながら、ふと、秀長に一歩近づけたような気がした。
スロバキア赴任時代の苦労話を、彼から聞いたことがある。
地元メーカーとの契約を、土壇場で破棄されたときのことだ。
「俺の部下は森ってやつでさ。地元採用の部下がヤーンで、俺が織田。森蘭丸、弥助、信長。まるで本能寺の変だろ」
ビールを片手に、そう言って笑っていた顔が、ありありと脳裏に浮かぶ。
そういえば「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」。織田信長が好んだと言われる『敦盛』の一節を、秀長はときどき口にしていた。
彼が会社を辞めたのも、ちょうど五十歳のときだった。
街全体が見渡せるブラチスラバ城へ上ってみた。
眼下には、ゆったりと流れるドナウ川と、赤い屋根が連なる古い町並みが広がっている。
この城を安土城に、足もとに広がる街を岐阜に見立てれば、ここは信長と秀長が天下を見下ろした場所にも思えてくる。
――あいつも、ここから同じ景色を見たのだろうか。
胸の奥に、小さな痛みのようなものが生まれる。
やがて私は城を後にし、再び列車に乗って、ハンガリーのブダペストへ向かった。
ブラチスラバ本駅から中心部への移動方法
トラム1番線か93番バスで、ともに10分はかかりません。私はトラムを利用しました。
画面をタッチすると、時間帯(30分毎)や1日券・3日券などが選択できます。コイン(紫色)またはクレジットカード(緑色 タッチ式のみ)で支払います。黄色の販売機を時々見かけましたが、こちらはコイン支払いのみしか使えません。

スロバキアの物価
西ヨーロッパ諸国に比べると物価は安いですが、外食となるとやはりそれなりの値段はします。地元のスーパーマーケットでリサーチしましたが、パン、ビール、ワインは安いと感じました。内陸国ゆえ海産物は少なく高額です。
購入した缶、瓶、ペットボトルはデポジット(保証金)が上乗せされています。返却すると戻ってくるシステムです。これはハンガリーでも同じでした。

滞在期間
私は2泊しましたが、街がコンパクトなので1日で十分だと思います。


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