こんにちは。「旅の、がっこう」の犬ポンです。
日本での連日の猛暑日、酷暑日が報道されています。世界各地も同様で、今年は特にヨーロッパで記録的な高温が続いています。そんな中で、フランスとベルギーを旅してきました。
今回は、ベルギー、フランスの旅で出会った名画をご紹介します。
あらすじ
世の中には不思議な空間がある。独り言も、その1つかもしれない。誰もいないのにしゃべりかけている。これはカフェ・海での不思議な体験物語です。フランス、ベルギー旅行から帰国後、時差ボケなのか眠れない日が続いた。仕事帰りに寄ったカフェで不思議な体験をした。
カフェ・海は、地元にある何の特徴もない喫茶店である。私の住む町にも国内外の大手飲食店が進出してきて、昔からの店舗は跡取り問題等も重なり姿を消している。「カフェ・海」もいつかはなくなるのだろうと思っていたが、不思議と潰れない。
カフェ海
高校時代の好きな科目は、古典Ⅱ(現在の古典探求)だった。ただし、好きと成績は比例しない。古典が好きだった理由は、当時の人はこんなことを思っていたのかとか、人の考えは今も昔も変わらないんだなどと言うことを想像することが楽しかった。受験科目であったのと、古典担当の永岡先生の授業が好きだったのも古典Ⅱを選択した理由だ。永岡先生の授業は少し変わっていて、当然基礎的な事は教えてくれるが、時々ディベートがあった。先生曰く「当時の人の生活や社会背景を考えながらディベートして」「Aくん(私)は卑弥呼」ちょっと待ってください。文献残っていませんけど。「Bさんは紫式部」これは大丈夫でしょう。「Cさんは村上春樹」まだご活躍中ですけど。「今日のテーマは、高齢社会の課題」このような無茶ぶりばかりではあったが、しかし、最後は不思議にディベートが成立していた。このような授業展開だったので、我々はひそかに永岡先生を教祖様、教え子はその信者だと勝手に名乗っていた。
「カフェ・海」は、通っていた高校の近所に有り、当時は喫茶店に高校生の出入りが許されない時代だったので、店の存在のみ知っていた。あと、海なし県にあるのにどうして「カフェ・海」という疑問を誰もが思っていた。東京の大学に進学し卒業後は地元に帰ってきた。以来、年に数回だが「カフェ・海」には通っていた。母親に聞いた話だが、昔からあるらしい。以前は「喫茶・海」だったそうだ。店舗の場所もメニューも昔から変わっていない昭和レトロな喫茶店である。
「カフェ・海」の店主は何人も変わっている。ただし、親族関係が継いでいるとは限らないらしい。今の店主はまさにそれで、しかも私の高校の同級生である。彼とは一度もクラスが一緒になったことはないが、雨も降っていないのに長靴で登校をしていたり、進学先は、あの東京大学理科三類つまり医学部に進学した有名人であった。東大医学部を首席で卒業後は白い巨塔で出世をしていたと聞いていた。しかし、数年前に「カフェ・海」の店主になっていた。彼曰く「悟った」と。実は彼も永岡教の信者だった。
「カフェ・海」でコーヒーを飲んでいるとフッと記憶があいまいな時間がある。しかも常にあるわけではないとうより通常は何事も起こらない。数年に1度不思議現象が起きる。何年かぶりに夫婦でフランスとベルギーに海外旅行にいった。帰国後数か月して「カフェ・海」を訪れた。富士山のふもと標高900mに位置するこの町も、温暖化のせいか夏30度近く気温が上昇することもある。外回りの仕事を終え帰宅前にアイスコーヒーでもとおもって「カフェ・海」に寄った。どの地方都市同様に高齢者が多く、特に暑い日は町も人出が少なく、「カフェ・海」も客はまばらだった。暑い日であったがホットコーヒーを注文し、一息ついてフッと目をつぶった。
最初の来訪者(『ベツレヘムの人口調査』ブリューゲル(ベルギー王立美術館))

目の前に男性が座り私に話しかけてきた。男性は絵を見せながら「私はブリューゲルと言う。私のことは知っておるか」申し訳ないが、絵画に詳しくなく、この絵自体は見たことがある程度の知識しかない。「この絵を見てどう感じる」寒い冬で、村全体が暗さを感じる。人口調査とは国勢調査のようなものですか。「この時代ヨーロッパは今と同じで異常気象で、冬は大寒波で夏は冷夏で凶作続き、それでも人々には重税が課され疲弊しきっている」あなたはそれをこの絵で表現しているのですね。「それでも子供たちは元気だ。ソリすべりにスケート、雪合戦。左下の二人の子供に注目してくれ。1人がボールを持っているだろう。これは彼らの両親がさばいた豚の膀胱を膨らましたものだ。何に使うと思う。」遊び、サッカーですか。「サッカーワールドカップを見ただろう。ベスト4の内優勝のスペイン、3位のイングランド、4位のフランスヨーロッパで、準優勝のアルゼンチンはスペインの植民地だった。ヨーロッパ勢が強い理由がこれでわかるだろう。」なるほど。「さっき国勢調査かと聞いたな。家屋の前に多くの人が群がっている。これは人々が税金を納めに来ている。この時代フランドル地方はスペイン・ハプスブルク家の管理下で、凶作などお構いなしに税を搾り取る。これは日本でも同じだろう。」確かに。給与は上がらず、様々な理由をつけ税金だけは上がり続けている。「それでもなお人々は希望を持つものじゃ。左上は沈む太陽だ。右上を見ろ。廃墟となった城塞とその前に新しい家が建っている。平家物語を思い出せ。」祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。そうか。ハプスブルク家と言えども永遠ではないということか。「真ん中下にロバに乗った女性がいる。彼女は妊娠をしている。そのロバを引く男が彼女の夫だ。その男は鋸を持っている。さて、彼の職業は何だと思う。」鋸と言えば大工でしょうか。「その通り。今妻が産気づいている。ベツレヘムとはどこじゃ。」ベルギーやオランダではない。そう、今のイスラエルだ。「気が付いたようじゃな。女性の名はマリア、夫はヨゼフ。つまりこれから生まれてくる子はイエス・キリストだ」そうか。不平等の時代に、神の前ではみな平等の世がこれからやってくるということか。絵を見ただけではだれも気付かない。深い、深すぎる。ブリューゲさんの話を聞いて改めてこの絵を見ると、美術的な解釈だけではなく、社会学的解釈が必要であることが理解できる。
『民衆を導く自由の女神』ドラクロワ(ルーブル美術館)

次に現れたのが、「私のことは・・・」さすがにこれは知っています。世界史の授業でおなじみですよドラクロワさん。この絵はフランス革命のことを描いたのではなく1830年に起きた七月革命ですよね。「わしの父親は誰か知っておるか。」世界史の先生も言っていましたが、フランスの外務大臣タレーラン説がありますよね。「そうじゃ。親父はあのタレーランだ。」タレーランと言えば、ルイ16世処刑後の総裁政府で外務大臣を務め、ナポレオンのエジプト遠征を後押しし、統領政府でも外務大臣に、ナポレオン亡き後ルイ18世期でも外務大臣を務めウィーン会議で活躍した人ですよね。「詳しいな。受験科目は世界史か。」いえ、日本史でした。「七月革命と言ったな。実は親父はその黒幕だ。ルイ・フィリップを担ぎ出し、七月革命を起こした。」フィクサーって訳ですね。「親父のヒラメ事件を知っているか。ヒラメは当時超がつくほど高級品だった。親父の経歴でわかるように、奴は策士だ。ある時、客人をもてなすパーティーでヒラメ料理を出すと宣言し、客は大いに期待した。親父は二匹のヒラメを準備していた。2匹ヒラメ料理が出てきたら客はどう思う。」さすがタレーラン様、お金持ちと思うと同時に、大富豪鼻につくと思います。「そうじゃ、印象が悪い。親父はどうしたと思う。」当然権力を示すうえでも2匹いっぺんに出した。「だからお前は出世できない。」悪かったですねヒラ社員で。「皿に乗せた1匹のヒラメ料理をテーブルに置く瞬間にわざと落とした。」客は超がっかりし、今出ていたよだれが引っ込んだ。「そこで親父は、黙って準備していたもう1匹を黙ってテーブルに置いた。」策士です。脱帽です。「わしはそいつの血を引いている。改めてこの絵を見てくれ。」「女性が胸をあらわにしている。どうじゃ。」さすがに戦争でこんな姿はしないですよね。「そうだ。ありえないのだ。当時のヨーロッパ、そして以前のヨーロッパで裸の女性を描くということは、ありえない、つまり実存しない女性、女神だ。」なるほど。だから民衆を導く自由の女神なのか。「それだけではない。女神の左横にいるライフルを持った男。これはわしじゃ」古典主義を静とすると、ドラクロワ時代のロマン主義は動と言える。見事に革命を感じさせる作品です。お父様のタレーラン以上に策士ですあなたは。
『レースを編む女』フェルメール(ルーブル美術館)

次に現れた人は「私フェルメールは、なぜ日本で人気があるのだ。1996年これまでその他大勢の1作者でしかなかった私の名前が付いた展覧会がオランダで開催され、2000年に大阪でフェルメール展が開催された。その頃からだ人気が出てきたのは。今年の8月から大阪中之島美術館でフェルメール・真珠の耳飾りの少女展がおこなわれる。よかったら見に来てくれ。」そうなんですか。作品も30数点しか実存していませんものね。「レースを編む女のモデルは誰だと思う」奥さんですか?「家政婦のミタだ。」松嶋菜々子。「まさか。ただの家政婦だ。」家政婦を雇っているということはかなり裕福なお家と言うことですよね。「わしは遅咲きの画家だと言いたいのではない。君は将来に不安はないか。」いきなりですか。これは私だけではなく、日本全国民の不安でもある少子高齢化です。「対策はしているか。」しているつもりですが、何か政府任せ、人任せになっています。「わしは画家であると同時に投資家でもあった。」え~!「絵具は今以上に高級品だ。特に真珠の耳飾りの少女のターバンのブルーは、ウルトラマリンブルーと呼ばれ、ウルトラ=超、マリン=海=海外、つまり海外(中央アジア辺り)から輸入された超貴重品で、めちゃくちゃ高額だった。私の父レイニエルはパブ兼宿屋主、母カタリーナの実家は金持ちだった。私のパトロンであるピーテルは醸造家だった。彼らからの支援金を私は運用していたわけだ。その利益で高級な絵具を買っていた。」初耳です。良い投資先を教えてもらえますか。「ĪT関連株は好調のようだが、いずれしぼむ。世界的に金利が上昇している。そうなればどこに投資したらいいと思う。」金融ですね。「ただし、紹介した銘柄は推奨ではありません。投資は自己責任でお願いします。」ありがとうございます。「しかしな、バブルは長くは続かない。英蘭戦争で投資に失敗した私は多額の負債を抱えてしまった。家族、特に妻には本当に迷惑をかけてしまった。」その後忘れられた画家となってしまったのですね。あなたの絵には明るい色彩ですが、何か影を感じるのはそのせいなのですね。「人任せにするのではなく自分で決め、将来の準備も怠らずだ。雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだを持ち 欲は無く 決して瞋からず 何時も静かに笑っている」宮沢賢治ですね。一喜一憂せず、分散投資で行きたいと思います。
『自画像』ゴッホ(オルセー美術館)

4人目の男性が現れた。ゴッホさんですよね。「そや。」関西人ですか。もしかして阪神ファンだったりして。「当たり前や。わしは絵に黄色よく使っているの知っとるやろ。今年も行けそうやな。藤川監督も星野監督もいいが、やっぱ監督は岡田や」同感です。「そんなことどうでもええ。あいみょん知っとるやろ。」ヨーロッパでも日本のアーティストが有名なのは正直嬉しいです。「マリーゴールドって曲、あれわしや。」麦わらの帽子の君ってゴッホさんだったんですか。「絵を描く時は、よく八代亜紀口ずさんでおる。」ほんとうにゴッホさんって日本が好きなんですね。「ところで、お前はわしのことどう思ってるんだ」素晴らしい画家さんだと。「じゃあわしと友達にならへんか。」それはちょっと・・・「なんでや。」耳切り事件とか・・・「お前はっきり言いよるな。」すいません。「確かにいろいろあった。しかし、一方的な情報のみをうのみにしていないか。SNSをめぐる問題もそうだろう。」確かに。「わしは人好きなんじゃ。それが行き過ぎたこともある。ゴーギャンに立派な椅子を用意したドン引きされたり、食堂にひまわりの絵をたくさん飾ったりな。おもてなしの精神じゃ。」ここでも日本びいき。確かにやりすぎてしまうことは私にもあります。「世間ではゴーギャンがわしのところを去ったと言われている。自由奔放な奴をわしはよく面倒を見た。でも限界やったんや。ゴーギャンがもう離れないでと泣きそうな目でわしを見つめる。だからわしは雲のような優しさでそっと抱きしめたんや。しかし奴は去っていった。だからわしの一部を奴にプレゼントしたんや。」そうなんですか。「わしの死因を知っておるか」自殺説が有力だと聞いています。「銃で自らをか。」そうじゃないんですか。「わしは腹から血を流し宿舎に戻った。そして、自分で撃ったと答えた。」そう聞いています。「わきが甘いな。コナンならこう言うぞ。完璧なんてこの世にはねぇよ。絶対どこかで歯車が噛み合わなくなる。」今度はアニメですか。どこまで日本好きなんですか。「弾丸は体内に残っておった。どこから撃ったのだと思う。」近距離ではないですよね。「そや。自分で撃ったのなら至近距離や。弾残ってるのおかしいと思わへんか。」そうか。「火縄銃やないで、19世紀の銃やぞ。」では真相な何ですか。「オーヴェル=シュル=オワーズの農村で会った青年達、ガストン・クレスタとその弟のルネ・クはわしの親友や。奴らは最初はわしにちょっかい出していたんじゃがな。」コーヒーに塩入れたりですよね。「それも実は、隠し味にコーヒーに塩をちょっと入れるとまろやかな苦みが出て、わしは好きなんじゃ。それを村人が見て勘違いしたんやろ。一度試してみぃ。」後でやってみます。「奴らと的撃ちゲームをやっておったんじゃが、その流れ弾がわしに当たってしまった。過失や。未来ある若者や。何とかしてやりたかった。」だから自分でと。「銃は見つかっていない。自分で撃って隠すか。キャンバスも見つかっておらんはずや。当時わしは世間に認められるようになってきた。だから奴らになったんや。困ったらこれを売っていいと。」真相はそうなんですか。
そのどれもが、ただの雑学では終わらなかった。なぜかすべて、今の私に向けられた言葉のように聞こえた。
そして最後にゴッホは、ある願いを私に託した。
「お前に調べてほしいことがある。奴らのその後じゃ。幸せに暮らしていたかを。」かつて自分と関わった青年たちが、その後、幸せに暮らしたのかを知りたいのだと言う。
私は何か答えようとして、そこで目を覚ました。
コーヒーはまだ運ばれてきていなかった。ほんの数分しか経っていないはずなのに、ずいぶん長い夢を見ていた気がした。
その後(『医師ガシェの肖像』ゴッホ(オルセー美術館))

ゴッホに託された頼みを、自分ひとりで調べるのは無理だった。そこで私は、美術に詳しい高校の先輩に話を持ちかけた。先輩は東京芸大を出たあと、なぜか居酒屋の店主になっていた。そして、やはり永岡教の信者だった。
先輩の話によれば、その兄弟はのちに商売で成功し、平穏な人生を送ったらしい。
そのことを胸にしまったまま、私は十一月下旬の寒い日に、またカフェ・海を訪れた。朝からの雨は雪へ変わっていた。標高九百メートルのこの町では、十一月でも雪が舞うことがある。
その日も店内の客は少なかった。私はなぜかアイスコーヒーを注文し、暖房の効いた店の中で目を閉じた。
「久しぶりやな」
聞き覚えのある声に、私はすぐわかった。
ゴッホだった。
私は先輩から聞いた話を伝えた。兄弟はその後、成功し、穏やかに暮らしたらしいと。
ゴッホはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「そうか。よかった」
それだけが心残りだったのだと、彼は言った。
さらに彼は、医師ガシェのことを話した。人は本当の気持ちをすべて吐き出せるほど強くはないこと。けれど、絶望している人ほど、その絶望をうまく見せられないこと。だからこそ、ただ話を聞いてくれる場所が必要なのだと。
そこで、不意に現実の声が差し込んだ。
「お客さん、アイスがぬるくなってしまいますよ」
はっとして目を開けると、グラスの氷はほとんど溶けていた。思った以上に長い時間、私はまどろんでいたらしい。
カウンターの向こうで、店主の田中がこちらを見ていた。東大医学部を出て、この店を継いだ同級生である。
彼は私に言った。
「お前、海外旅行から帰ってきてから、少し変じゃないか」
なぜそれを知っているのかと驚くと、彼は呆れたように笑った。
「春ごろ、この店でずっと旅行の本を読んでただろ」
私は迷った末に、これまでのことを話した。
すると田中は、意外にも否定しなかった。
むしろ、自分にも似た経験があると語った。まだ医者だったころ、この店で不思議な人物たちと出会ったのだという。そして、そのとき前の店主に店を継がないかと誘われ、なぜか即答で引き受けてしまったのだと。
彼は静かな口調で言った。
身体の病は、医学で救えることがある。だが、人の悩みや心の痛みに効く特効薬は、昔から存在しない。
だからこそ、この店がいるのだと。
病院では構えてしまう人も、カフェならふらりと立ち寄れる。ここはコーヒーを飲む場所であると同時に、心を休ませる場所でもあるのだと。
私はその話を聞きながら、ゴッホとガシェの会話も、きっとこんなふうだったのではないかと思った。
今回のフランスとベルギーの旅は、ただの観光ではなかったのかもしれない。自分を見つめ直す旅であり、帰ってきてからなお続いている旅でもあったのだろう。カフェ・海もまた、そんな旅の途中にある場所なのだ。
自分も、周囲の人も、なくてはならない存在なのだと、ふいに思った。
可哀想なふりをして、少し立ち止まってみた日もあった。けれど、希望の光はずっと前から、目の前にあったのかもしれない。
そう思ったとき、私は小さく、しかし確かに感じていた。
幸せだ、と。


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