こんにちは。「旅の、がっこう」の犬ポンです。
2026年6月12日~21日で、ハンガリーの首都ブダペストとスロバキアの首都ブラチスラバを旅してきました。
小説風(題名「雲海プロヂュース」)に進めていきた今回の旅行記、ブダペスト編のスタートです。

前回までのあらすじ
私、信秀真〈のぶひで・しん〉は、突然会社を辞め、音信不通になった大学時代の友人、織田秀長を捜す旅に出た。
中国・広州を経由してハンガリーの首都ブダペストへ。そこから国鉄に乗り継ぎ、かつて秀長が赴任していたスロバキアの首都ブラチスラバへ向かったものの、手掛かりは何ひとつ得られない。
肩を落とした私は、再び列車に乗り込み、次の都市ブダペストへ戻ってきたのだった。
ドナウ川の真珠・ブダペスト

ブラチスラバ本駅を、列車は定刻より五十分ほど遅れて出た。
海外では、この程度の遅延は当たり前なのだろう。日本の鉄道の正確さと優秀さを、こんなときほど痛感させられる。
ブダペスト西駅に着いたのは、午後五時を少し回ったころだった。
この日はホテルにチェックインすると、観光もせず、そのまま部屋で過ごすことにした。窓辺に立つと、夕暮れの霞の向こうに、ゆったりと流れるドナウ川が見える。
ハンガリーは、かつてヨーロッパの名門ハプスブルク家と深い縁を持った土地だ。
十八世紀後半には、マリー・アントワネットの母であるマリア・テレジアが、ハンガリー王として君臨している。世界史で学んだハプスブルク家の栄華と衰退の物語は、どこか織田信長の生涯と重なって見えた。
――秀長は、今どこで、何をしているのだろう。
ドナウの水面に灯が揺れ始めると、胸の奥で、そんな問いが静かに波紋を広げた。
ハンガリーの物価

スロバキア同様、東欧は西欧に比べやはり物価は安いです。特にパン、ビール、ワインは安くて助かります。
パプリカ
パプリカの生産量世界有数のハンガリー。ハンガリーの国民的料理はパプリカを使ったグヤーシュという煮込み料理が有名です。ハンガリー料理にはパプリカは欠かせません。パプリカはトウガラシの一種であり原産は、ジャガイモ、タバコ、トマトなどと同じアメリカ大陸です。唐辛子は当初観賞用でしたが、オスマン帝国から伝わった唐辛子が、食用、調理用になったそうです。
エリザベートが愛した国

十九世紀後半、オーストリア=ハンガリー二重帝国が誕生した。
フランツ・ヨーゼフ一世と、その妻エリザベートが戴冠式を挙げたのが、ここブダペストのマーチャーシュ教会だという。
王宮の丘から眺めるブダペストの街並みは、息をのむほど美しい。
赤茶の屋根が連なり、その向こうをドナウ川がゆるやかに湾曲しながら流れてゆく。
――秀長も、この丘から同じ景色を眺めたのだろうか。
ふとそんな想像がよぎる。
彼のスロバキア赴任は、かなり大変だったと聞いていた。外国の取引先を相手に交渉し、ライバル会社と競り合う日々。公務員の私には、なかなか実感の湧かない世界だ。
ドイツ出身のエリザベートは、ウィーンの宮廷生活になじめず、義母との折り合いも悪かったという。彼女はしばしばハンガリーを訪れ、この国を心から愛したらしい。
今年三月の、秀長の突然の音信不通。
四月と五月の、私自身の多忙な日々。
エリザベートや秀長の苦難に比べれば、取るに足らない悩みかもしれない。それでも、この旅が、確かに少しずつ私の疲れを癒やしてくれているのを感じていた。
おすすめの場所

王宮の丘にある大統領官邸の階段を少し下ったところにある公園は、観光客も少なく、眺めもいいのでおすすめです。滞在中2度も行き、木陰で読書しました。
時の流れ

世界で最も美しいとも言われるハンガリー国会議事堂を、私は見学ツアーで訪れた。
ここは、秀長も滞在中に足を運んだと、以前話していた場所だ。
尖塔が林立するゴシック・リバイバル様式の建築は、近くで見上げると圧倒的だった。
しかし同時に、この壮麗さの内側が、権力闘争の舞台でもあることを思い知らされる。
ハンガリーでは、十六年続いた政権が、この四月についに崩れたばかりだ。
大学時代のゼミの同期のひとりが国会議員になったことがあるが、党内で政策をめぐって対立し、選挙では「刺客」を送られ落選したという話を、秀長と笑いながら語り合ったことを思い出す。
今、その同期は地元で農業に従事し、権力闘争とは無縁の、穏やかな暮らしを送っている。
きっと彼なりの幸福を見つけたのだろう。
秀長もまた、総合商社という激動の世界をくぐり抜け、今はどこかで平穏な生活を手にしているのではないか。
そうあってほしいと願わずにはいられない。
そして――自分自身は、どうなのだろうか。
ドナウ沿いの風がふと強くなり、私は首筋を押さえた。
自分の内側から、「お前は本当にこのままでいいのか」と問われているような気がした。
国会議事堂見学ツアー
1か月前からネット予約ができます。人気ツアーなので日程が決まっている人は早めに予約がおすすめです。当日券は、若干名の枠は残っています。朝8時からビジターセンタの窓口に並び当日券を購入します。写真のように掲示板に時間帯ごとの空き人数が表示されていますが、9時にはすべて売り切れていました。金額は、14000フォリントでした。

翻弄されるハンガリー
日本とハンガリーが、かつて同盟国だった時代がある。
第二次世界大戦中、ハンガリーはドイツに接近し、日独伊三国同盟の一員として戦争に加わった。
その結果、ナチス・ドイツの同盟国であったことから、多くのハンガリー在住ユダヤ人がホロコーストの犠牲となった。
このような悲劇は、決して二度と繰り返してはならない。
戦後のハンガリーは、一九四九年に社会主義国家、ハンガリー人民共和国となる。
そして一九五六年、この国で民主化運動が起こったとき、ソ連は武力で介入し、ここでも多くの命が奪われた。
いつの時代も、どこの国でも、政治に翻弄されるのは一般市民だ。
戦後八十年のあいだ、一度も戦争をしてこなかった日本はどうだろう。
少子高齢化、経済格差、エネルギーと気候変動、安全保障――山積する課題の前で、私たちもまた、形を変えた「政治」に翻弄されているのかもしれない。
ドナウ川沿いの靴

ホロコーストによって射殺されドナウ川に落とされたユダヤ人の悲劇を後世に伝えるためにつくられました。
1956年10月25日記念館
国会議事堂横の地下にあります。民主化運動での弾圧で犠牲になった人々の名簿や使用された武器や弾薬などが展示されています。

昇る朝日

翌日、私はブダペストから北へ十九キロほど離れたセンテンドレへ足を延ばした。
かつて商業都市として栄え、今もセルビア文化の色濃い小さな街だ。
多くの観光客が訪れると聞いていたが、朝九時に到着したおかげで、まだ人影はまばらだった。
石畳の路地に柔らかな朝日が差し込み、静けさの中に教会の尖塔が浮かび上がる。私はひとり、ゆっくりとその風景を味わうことができた。
センテンドレからブダペストへ戻る電車の中で、不意に耳に馴染んだ響きが聞こえた。
日本語だ。
この旅で日本人に会うことはほとんどなかったので、母語の響きがひどく懐かしく感じられた。
中学生二人と大人二人の四人組。話の内容から、どうやら姉妹都市交流で来ているらしい。
私は思い切って声をかけてみた。
彼らは奈良県野迫川村から来た一行で、スロバキアのビソケ・タトリ市との姉妹都市交流で訪れていた帰りだという。
野迫川村は、離島を除けば、日本で最も人口の少ない村だそうだ。
少子高齢化の悩みは、日本全国どこも共通している。
私の暮らす町も、放置された耕作地や空き家の問題を抱えていた。
そこへきて、市立病院の赤字経営が深刻化し、高度医療の提供が難しくなりつつあるという新たな課題まで浮上している。
そんな状況の中で、人口の少ない村が海外の姉妹都市交流のために人を派遣できるという事実に、私は素直に驚いた。
引率をしていた村役場職員の丹羽さんと名刺を交換し、駅のホームで別れを告げた。
センテンドレへの行き方
地下鉄2号線のBatthyany ter駅からヘーブ(郊外電車)5号線に乗り、終点のSzentendre駅で下車、約40分で到着します。BKK(ブダペスト市内の地下鉄、市バス、トロリーバス共通券)とは別にチケットの購入が必要です(往復900フォリント)。
販売機でも購入可能ですが、窓口で購入した方が分かりやすいです。
公共交通機関のチケット

1回券(黄色)、72時間券(緑 開始の時間は自分で設定できます)、ヘーブ乗車券(青)
雲海プロデュース
日本に帰国したあと、私は丹羽さんと何度かメールをやり取りした。
そして十一月下旬、野迫川村を訪れることになった。
深夜バスで大阪へ向かい、南海電鉄なんば駅から高野山駅へ。そこからさらにバスに揺られ、山々に抱かれた村役場にたどり着く。
事前にアポイントを取っていたおかげで、丹羽さんに村のあちこちを案内してもらえた。
山間の村で、平地はほとんどない。
谷間の川に沿って、集落が斜面に張り付くように点在している。産業は主に林業だが、近年はアマゴの養殖にも力を入れているらしい。
その日の宿となる旅館に着くと、丹羽さんは別れ際にこう言った。
「姉妹都市交流も、長いあいだ中断していたんですが、NPOさんの協力もあって、やっと再開できたんです」
そのNPOにも、私は興味をそそられた。
丹羽さんの話では、来月、担当者が村を訪ねてくるという。私は自分の名刺を差し出し、その人に渡してもらうよう頼んだ。
明日の朝は雲海が素晴らしいらしい。
それをこの目で見てから帰ろうと決め、私は宿で村の名物料理を味わった。
野菜がたっぷり入った鍋「ホット」と、優しい味わいの煮物「ケンチャ」。山の夜にふさわしい温かな食事だ。
箸を置いたそのとき、テーブルの上のスマートフォンが震え、着信音が鳴り響いた。
見知らぬ番号が表示されている。
少し迷った末に、恐る恐る通話ボタンを押した。
「すまん。連絡が遅くなった」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、耳の奥に焼きついていたあの声だった。



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