こんにちは。「旅の、がっこう」の犬ポンです。
イラン情勢の緊迫がまだ続いています。アメリカとイランの交渉が暗礁に乗り上げてしまうと、世界経済、国際関係の悪化が深刻化してしまう状況です。 緊迫した時代と言えば、日本では戦国時代です。NHK・BS「英雄たちの選択」で、戦国武将の堀尾吉晴が取り上げられていました。交渉術にたけた戦国武将・堀尾吉晴から学ぶものはないでしょうか。

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堀尾吉晴の生い立ち
主君(岩倉織田氏)が滅亡したために、父と共に浪人となってしまいます。
浪人時代は、尾張と伊勢を放浪した後に美濃で猟師をしていたといいます。
猟師をしていた堀尾吉晴は豊臣秀吉に気に入れられ家臣に召し抱えられて、功績をあげ出世していきます。
豊臣秀吉の死後、徳川家康派と石田三成や前田利家ら反家康派との調整・周旋を務めました。
隠居後息子が早世したため家督は孫が継ぎ、その孫が幼年のためその後見役を務めました。その間に松江城を建造しました。
堀尾吉晴の交渉術
戦場=武力決着の場というステレオタイプを超え、折衝・周旋・説得によって「戦わずして勝つ」交渉を進めました。
堀尾吉晴が人柄を買われて敵との交渉役を務め、数々の勝利に貢献しました。
堀尾吉晴は、城攻めで相手側が不利になり籠城戦を決めたとき、単身その敵城に乗り込み開城、降伏の交渉にあたってきた人物です。敵味方にその名を知られた武将が乗り込み降伏、つまり敵の大将に腹を切らせる交渉にあたってきました。
大将が腹を切る、武将としての美学を説きつつ、その腹切りで敵味方数万の兵の命が救われることになります。したがって大将の名誉の切腹により多くの部下が救われるという話が後世まで語り継がれることになります。
そんな堀尾吉晴は「仏の茂助」(茂助は通称)というあだ名が付けられています。温和な性格で、敗者の気持ちがわかるのは、浪人時代の苦労があったからだろうと思われます。吉晴は浪人を多く雇い、仕官先を見つけたり、家臣が病気になった時には医師を何人も手配して、小姓をつけて看病までさせているエピソードが残っています。
吉晴の「強くなければ生きられない。優しくなければ生きる資格がない」はまさしく、現代に求められているリーダー像の1つかもしれません。
トランプ大統領の交渉術
指導者が「何をしでかすかわからない人間」に見えれば、相手は恐れをなして交渉のテーブルに着くはずだという考え方、これをマッドマン理論と呼びます。トランプ米大統領は、まさにこの戦術を自分の外交スタイルの柱に据えてきました。そして今回のイラン戦争でも、敵に過激な脅しをかけ続け、マッドマンぶりを全開にしているように思われます。
トランプ大統領のもう1つの外交スタイルは「アメリカファースト」を基軸としながらも、短期的な利益を重視したディールを志向するため、政策の方向性を事前には明らかにしないというものです。
相手の名誉を尊重しつつ、部下や住民が救われることを明白に交渉する堀尾吉晴と比較したらどうでしょうか。
まとめ
現代の外交、行政、ビジネスの交渉場面に重ねてみると、「情報・信頼・関係資本が、武力に勝ることがある」ということが言えると思います。堀尾吉晴は、三英傑(信長・秀吉・家康)という気性も発想も異なる主君に仕えつつ、それぞれに最適化した交渉の立ち位置を取り続けた点は、相手が替わっても成果を出し続ける交渉のプロと言えます。イランとの交渉に堀尾が当たったとしたらどうなるのでしょうか。



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